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TOSHIKAZU NOZAKA SPECIAL INTERVIEW

TOSHIKAZU NOZAKA SPECIAL INTERVIEW

画工・野坂稔和とホットウィール。値遇の縁。 一切の妥協をせず先人に近づく。野坂のアトリエにそう認めてある。魑魅魍魎が跋扈する文化の大海において、野坂稔和は何を表現するのだろうか。日本文化を根っこに、西洋文化を消化した唯一スタイルは、ホットウィールの世界でも光り輝いています。 [ 野坂稔和 Toshikazu Nozaka プロフィール ] 野坂 稔和 (のざか としかず) TOSHIKAZU NOZAKA野坂稔和美術研究所主宰 東京都出身。幼少の頃からプラモデル製作、オブジェ制作、絵画、スケートボードに夢中になり10代、20代をプロスケートボーダーとして過ごす。現在は画家、文身師、スケートボーダーとして活動し、主に個展、グループ展等で作品を発表。また国内外の様々な企業、ブランドなどにアートワークを提供し、主にスケートボードデッキの作画を数多く手掛ける。作品の制作における根底には江戸から明治にかけて活躍した日本の絵師への尊敬と憧れがあり、 主に河鍋暁斎の精神性、画法の研究、継承をライフワークとする。   === 1971年 DUTSUN 510 BLUEBIRD 自分にダットサン510のオファーがあった時、正直に嬉しかった。初めてのジャンルだったし出来上がりにもとても満足して嬉しかったです。ただこの時点では、ホットウィールに全く興味がなかった。 出来上がった製品を40台くれたんです。それを子供に片っ端から配って、親は勿体ないからとか言うんだけど「いいから!むいて遊んじゃえよ!」とか言って砂場でガンガン遊ばせたりとかして、それぐらいの感じでしたよね。 先ずこのダットサン510っていう車が、世界的にファンがいることも知らなかったし、現物車を見たこともなかった。ダットサンのトラックは工業系の先輩が実用車として使ってたから見たことはあるけど、フーンって感じだったんです。 インドネシア・ダイキャストEXPO 22年にダットサン510が発売されて、御厚意で23、24年とホットウィール・コレクターズ・ジャパン・コンベンション(以下、HWCJC)に出店させて頂いたんでけど、転売ヤーとかそういうのでちょっと嫌な思いをしたっていうか…そんな世界なんだと思って余計に興味がなかったんです。 だけどそこに2年連続でインドネシアからIDDの方々が会いに来てくれて「今度はうちでデザインしてくんないか?」って言ってくれた。 2年目で折れてインドネシアのIDDと組むようになって、現地のお披露目に呼ばれていざインドネシアのジャカルタに行くと、もう芸能人とかのディナーショーみたいに丸テーブルが何個もあって、ふかふかの絨毯が引いてある様なところなんですよ。チケットも結構高いし、そんなの人来るの?とか思ってた。馬鹿にするわけじゃないんだけど、自分がミニカーの世界を知らなかったんです。確か150人限定のイベントでしたが満員でデザインについてなどお話ししました。 数日後にIDE(インドネシア・ダイキャストEXPO)に出たら大きな特設ブースに自分がデザインしたミニカーの実車があってそこでサイン会をするのですが、めちゃくちゃファンが並んでくれてたんですよ。サイン会なんて1時間で終わらないから「赤ちゃんとか連れてる人は全員前に来てください。女性子供優先!!」もう途中から自分で采配を振るってやってました。...

TOSHIKAZU NOZAKA SPECIAL INTERVIEW

画工・野坂稔和とホットウィール。値遇の縁。 一切の妥協をせず先人に近づく。野坂のアトリエにそう認めてある。魑魅魍魎が跋扈する文化の大海において、野坂稔和は何を表現するのだろうか。日本文化を根っこに、西洋文化を消化した唯一スタイルは、ホットウィールの世界でも光り輝いています。 [ 野坂稔和 Toshikazu Nozaka プロフィール ] 野坂 稔和 (のざか としかず) TOSHIKAZU NOZAKA野坂稔和美術研究所主宰 東京都出身。幼少の頃からプラモデル製作、オブジェ制作、絵画、スケートボードに夢中になり10代、20代をプロスケートボーダーとして過ごす。現在は画家、文身師、スケートボーダーとして活動し、主に個展、グループ展等で作品を発表。また国内外の様々な企業、ブランドなどにアートワークを提供し、主にスケートボードデッキの作画を数多く手掛ける。作品の制作における根底には江戸から明治にかけて活躍した日本の絵師への尊敬と憧れがあり、 主に河鍋暁斎の精神性、画法の研究、継承をライフワークとする。   === 1971年 DUTSUN 510 BLUEBIRD 自分にダットサン510のオファーがあった時、正直に嬉しかった。初めてのジャンルだったし出来上がりにもとても満足して嬉しかったです。ただこの時点では、ホットウィールに全く興味がなかった。 出来上がった製品を40台くれたんです。それを子供に片っ端から配って、親は勿体ないからとか言うんだけど「いいから!むいて遊んじゃえよ!」とか言って砂場でガンガン遊ばせたりとかして、それぐらいの感じでしたよね。 先ずこのダットサン510っていう車が、世界的にファンがいることも知らなかったし、現物車を見たこともなかった。ダットサンのトラックは工業系の先輩が実用車として使ってたから見たことはあるけど、フーンって感じだったんです。 インドネシア・ダイキャストEXPO 22年にダットサン510が発売されて、御厚意で23、24年とホットウィール・コレクターズ・ジャパン・コンベンション(以下、HWCJC)に出店させて頂いたんでけど、転売ヤーとかそういうのでちょっと嫌な思いをしたっていうか…そんな世界なんだと思って余計に興味がなかったんです。 だけどそこに2年連続でインドネシアからIDDの方々が会いに来てくれて「今度はうちでデザインしてくんないか?」って言ってくれた。 2年目で折れてインドネシアのIDDと組むようになって、現地のお披露目に呼ばれていざインドネシアのジャカルタに行くと、もう芸能人とかのディナーショーみたいに丸テーブルが何個もあって、ふかふかの絨毯が引いてある様なところなんですよ。チケットも結構高いし、そんなの人来るの?とか思ってた。馬鹿にするわけじゃないんだけど、自分がミニカーの世界を知らなかったんです。確か150人限定のイベントでしたが満員でデザインについてなどお話ししました。 数日後にIDE(インドネシア・ダイキャストEXPO)に出たら大きな特設ブースに自分がデザインしたミニカーの実車があってそこでサイン会をするのですが、めちゃくちゃファンが並んでくれてたんですよ。サイン会なんて1時間で終わらないから「赤ちゃんとか連れてる人は全員前に来てください。女性子供優先!!」もう途中から自分で采配を振るってやってました。...

JESSE (RIZE/The BONEZ) SPECIAL INTERVIEW

人生を魂でひた走るJESSE。40代で叶えた夢、自分と同い年の相棒「80エル·カミーノ」(80’Chevrolet El Camino)を手に入れるまでのストーリーは、1台のホットウィールから始まった。こんな夢の叶え方がある、それがJESSEのスタイルだ。 【JESSEプロフィール】1980 年 8 月 11 日 東京都出身。RIZE / The BONEZ のフロントマン。 1997 年に金子ノブアキと RIZE を結成。アメリカンスクールで 育ったバイリンガル。全身のタトゥーは 強いメッセージや その歴史がアートとして刻まれており、”JESSE”としての生き様を体現している。歌詞に込められたメッセージをストレートかつソウルフルに聴かせるとともに、全身で表現する熱量溢れるパフォーマンスは一瞬にしてオー ディエンスの心を引き込む。地元戸越をこよなく愛し、兄貴肌で義理人情に厚い人柄は音楽業界のみならず多くの人に慕われている。そのカリスマ性とファッションセンスは各界からの評価も高くファンも多い。長年に渡り様々なブランドのモデルにも抜擢されている。自身アパレルプリント工場“JSF”のオーナーを務めるだけに止まらず、近年では古着を取り扱う「GBB」を展開するなど、マルチクリエイターとして活躍し続けている。 ===●69’シボレー·エルカミーノ 自分の母方の曾祖父(ひいじい)ちゃんは、69年の真っ黒なエル・カミーノ(Chevrolet El Camino、以下:エルカミ)に乗ってたんです。毎日、バーってガレージを開けて、キツくなってるボルト全部を緩くして、油差して、またキツくすることをやる人だったんですよね。歯が一本もなくて何言ってるか分からなくて、いつも自分はガレージにポツンと座ってることしかできなくて、最初はつまんねなって思ってたんです。だけど毎日一緒にいて、スパナなんかの工具を渡してるうちに、それがかっこよく見えてきたんです。自分もこのエルカミが欲しいって思うようになっていったことを、はっきりと覚えています。その日から、いつか手にいれるエルカミが自分の夢のひとつになったんです。まだ小学校にも入ってない6歳くらいの時だったと思います。じいちゃんに連れていかれたKマートのオモチャセクションにホットウィールがガーッと並んでて。Mcfaddin家は、全員シボレーなんですけど、それでじいちゃんの車と同じ真っ白のシボレーを買ってもらいました。それから数日過ぎたある日、じいちゃんがいきなり青いペンキを持ってきて「ペンキ塗るぞ!」って車を青に塗り始めたんです。だから自分も買ってもらったホットウィールを、その青いペンキで塗りました(笑)。それが自分の初めてのホットウィールとの出会いですね。父方の竹中家は、じいちゃんが日産の整備士だったから全員NISSANで(笑)。昔の人は、自分が所属している会社を、自分の会社と同じくらいREPするし、生涯それしか乗らないみたいな感じがあった気がするんですよね。 ●アメリカン·カルチャーとドリーム 80年代が自分たちのプライムタイムです。例えば『E.T.』の登場人物がネルシャツを着たり、ジーパンを履いていたり、そいつらがBMX乗っていたり、『Back to the Future』の*ビフ・タネンが55年のフォードに乗っていたり、『トレーニング・デイ』でデンゼル・ワシントンが乗ってるモンテカルロだったりとか、映画が常にカルチャーの起点にあったし、映画で流れる音楽を含めて全部がリンクしていました。だから自分がこのカルチャーにはまったのは映画のおかげと言えると思います。...

JESSE (RIZE/The BONEZ) SPECIAL INTERVIEW

人生を魂でひた走るJESSE。40代で叶えた夢、自分と同い年の相棒「80エル·カミーノ」(80’Chevrolet El Camino)を手に入れるまでのストーリーは、1台のホットウィールから始まった。こんな夢の叶え方がある、それがJESSEのスタイルだ。 【JESSEプロフィール】1980 年 8 月 11 日 東京都出身。RIZE / The BONEZ のフロントマン。 1997 年に金子ノブアキと RIZE を結成。アメリカンスクールで 育ったバイリンガル。全身のタトゥーは 強いメッセージや その歴史がアートとして刻まれており、”JESSE”としての生き様を体現している。歌詞に込められたメッセージをストレートかつソウルフルに聴かせるとともに、全身で表現する熱量溢れるパフォーマンスは一瞬にしてオー ディエンスの心を引き込む。地元戸越をこよなく愛し、兄貴肌で義理人情に厚い人柄は音楽業界のみならず多くの人に慕われている。そのカリスマ性とファッションセンスは各界からの評価も高くファンも多い。長年に渡り様々なブランドのモデルにも抜擢されている。自身アパレルプリント工場“JSF”のオーナーを務めるだけに止まらず、近年では古着を取り扱う「GBB」を展開するなど、マルチクリエイターとして活躍し続けている。 ===●69’シボレー·エルカミーノ 自分の母方の曾祖父(ひいじい)ちゃんは、69年の真っ黒なエル・カミーノ(Chevrolet El Camino、以下:エルカミ)に乗ってたんです。毎日、バーってガレージを開けて、キツくなってるボルト全部を緩くして、油差して、またキツくすることをやる人だったんですよね。歯が一本もなくて何言ってるか分からなくて、いつも自分はガレージにポツンと座ってることしかできなくて、最初はつまんねなって思ってたんです。だけど毎日一緒にいて、スパナなんかの工具を渡してるうちに、それがかっこよく見えてきたんです。自分もこのエルカミが欲しいって思うようになっていったことを、はっきりと覚えています。その日から、いつか手にいれるエルカミが自分の夢のひとつになったんです。まだ小学校にも入ってない6歳くらいの時だったと思います。じいちゃんに連れていかれたKマートのオモチャセクションにホットウィールがガーッと並んでて。Mcfaddin家は、全員シボレーなんですけど、それでじいちゃんの車と同じ真っ白のシボレーを買ってもらいました。それから数日過ぎたある日、じいちゃんがいきなり青いペンキを持ってきて「ペンキ塗るぞ!」って車を青に塗り始めたんです。だから自分も買ってもらったホットウィールを、その青いペンキで塗りました(笑)。それが自分の初めてのホットウィールとの出会いですね。父方の竹中家は、じいちゃんが日産の整備士だったから全員NISSANで(笑)。昔の人は、自分が所属している会社を、自分の会社と同じくらいREPするし、生涯それしか乗らないみたいな感じがあった気がするんですよね。 ●アメリカン·カルチャーとドリーム 80年代が自分たちのプライムタイムです。例えば『E.T.』の登場人物がネルシャツを着たり、ジーパンを履いていたり、そいつらがBMX乗っていたり、『Back to the Future』の*ビフ・タネンが55年のフォードに乗っていたり、『トレーニング・デイ』でデンゼル・ワシントンが乗ってるモンテカルロだったりとか、映画が常にカルチャーの起点にあったし、映画で流れる音楽を含めて全部がリンクしていました。だから自分がこのカルチャーにはまったのは映画のおかげと言えると思います。...

ORANGE ROD SPECIAL INTERVIEW

- 僕はデザイナー。裏方ですからゴーストです。影の様にその存在そのものを消していきたい -ホットウィールの世界で ORANGE ROD 名を知らない人はいない。ホットウィールのカスタムコンテストで数多の賞を総なめにしながら実体の多くは全く明かされていない。ORANGE RODは一体何者なのだろうか?謎に包まれるその存在の発端を見てみよう… 【ORANGE RODプロフィール】2000年頃から趣味のHot Wheels(以下HW)カスタムを開始。日本のファンサイトやアメリカのHotWheelsCollectors.comのBBSへカスタム作品を投稿し、日米HWコンベンションのカスタムコンテストで数々のアワードを獲得。2006年にはカスタム作品のグラフィックがマテル社のデザイナー陣の目に留まり製品化。それがきっかけとなり当時のHWグラフィックチームのマネージャーからの誘いを受け、2008年より外部デザイナーとしてHW製品のグラフィックデザインを請け負う事となる。現在年間300点以上の製品のグラフィックとカラーリングのデザインを手掛けている。 ===Q.ホットウィールのグラフィックデザインに関わるまでの経緯を教えてください。僕はアメリカの掲示板にもカスタムカーを上げていましたから、それをマテル社のデザイナーさんや社員さんが見てくれていた様です。2005年に日本で開催されたコレクタークラブ(HWML)の集まりにHWデザイナーのジュン・イマイさん(当時/現KAIDO HOUSE)が遊びに来てくれて交流が始まりました。そこからお世話になっているHWショップの方達にアメリカのコンベンションに連れて行ってもらいまして、マテルのデザインセンターを訪問したりもしました。そこでマテル社のHWグラフィックチームのマネージャーから「グラフィックやらないか!?」と誘われました。===Q.オレンジロッド、その名前の由来を教えてください。ファンの掲示板にお邪魔してカスタムの写真をアップするにはハンドルネームがいるわけです。その時になんとなくつけたものです。僕が最初にホットウィールのカスタムをしたのが雑誌『model cars(モデル・カーズ)』のコンテストだったんですけど、その時に賞をもらった車がオレンジ色だったんです。メタリックオレンジは曲面を使ったショーロッドに映えますし、カスタムペイントならではの色という感じがして好きでした。好きなオレンジ色にホットロッドの「ロッド」をつけてオレンジロッド(笑)。それをそのまま今も使っています。この車のルーフの模様は初めて描いたピンストライプです。カルチャーも何も知らない状態ですから、僕のイメージだけで勝手に作り上げたピンストです。まったく形にはなってないんですけど、誰も描けないピンストライプになっていると思います。その頃から、アメリカ車の専門誌も読み始めて得た知識をHWカスタムに反映させるのに夢中になっていきました。===Q.デザインをはじめたきっかけは何だったのでしょうか?今じゃ考えられないですけど僕が中高生くらいの頃までは町に一軒はおもちゃ屋さんがあるような状況で、僕も高校時代は地元の玩具模型店でバイトをしていました。子供の頃から図画工作が好きだった流れでカーモデルやラジコンに興味を持ち始め、バイト代はほとんどおもちゃやプラモの現物支給に近い状態でした(笑)。はじめてのエアブラシもバイト代で買いました。そんなで中で漠然と将来はデザインの仕事がしたいくらいの気持ちで美大を目指し、◯浪してグラフィックデザイン科に入りました。そのうちにホビー関連のデザインに関わりたいと思うようになり学校では平面ではなくて模型や立体造形の作品ばかり作っていました。===Q.ホットウィールとの出会いを教えてください。僕は実車というよりもトイ(おもちゃ)から入ってます。コレクションを意識しはじめたのは小中学生の時のチョロQからで、やがてフィギュアブームの頃バットマンやスポーンなどのUSトイに興味を持ちました。USトイを扱っているお店に行くと並行輸入のホットウィールも売っているわけです。フェラーリやポルシェとか実車のあるような車は千円くらいするわけですが、オリジナルデザインの変わった車はコレクターに人気がないのか安いんです。三百円くらいで買えちゃう。おもちゃ好きとしてはオリジナルデザインのほうにこそ惹かれるわけでそこから面白い車をツマんでいくうちに、『model cars(モデル・カーズ)』を読んで新製品を追うようになり、カスタムコンテストの告知を見て作ってみようかとなりました。それがホットウィールとの出会いでした。===Q.ご自身のスタイルはどのように形成されていったのでしょうか?HWのカスタムは分解が基本です。車の裏にあるカシメをドリルで外して分解するんです。それを糸鋸でぶった斬って、それを組み合わせて繋いで接着して、色を塗っていきます。はじめは知識も技術も何もないですから、基本はすべて分解して知ることからスタートしています。2000年代初頭の頃は、個人のホームページに掲示板があって、それぞれに同好の仲間が集まっていた感じです。掲示板はカスタム作品の発表だけでなくお互いの技術や情報を交換する場でもあり、僕自身も投稿する様になってから色々なことを教えていただきました。カスタムの手法にも様々あってタイヤホイールの交換、ボディのリペイントからパテやプラ板、金属素材を使った成形、エンジンや内装など細部のディテールを細かく作り込むスタイルもあります。僕はHWのパーツ同士を切り貼りしてあたかも元からそのキャストがあるかのような1台にまとめるのが好きです。ずっとHWデザイナーへの憧れがありますから、自分がデザイナーになったつもりで、デザイナーごっこのイメージです。あのキャストのこの部分が使えるかな?なんて事を常に考えています。実際に削って合わなかったりもするんですけど、そこを何回も繰り返して一体化させていきます。プラモデルのパーツなどは使い過ぎると軽くなりますから、僕はやっぱりダイキャストの重みを出せればと思って金属パーツを中心に使いながらカスタムしています。完全に個人的な好みですが、軽くなり過ぎるとミニカーじゃなくなっちゃう気がするんです。とにかくたくさんのキャストの事を知っていないと僕の思うようなカスタムやデザインはできないので、今でも新しいキャストは一通り買います。もうずーっと買っています。発売日の朝並ぶのが苦手で今やネット通販も早い者勝ちですので、どうしても欲しいモデルがあるときはアソート箱で買っちゃいます(笑)。全部でどれくらいの個体があるんでしょうかね?本当にたくさんのキャストがあります。HW以外にもプラモデル、ラジコン…etc、カスタムできる物が好きで集めるのも大好きです。ですからコンテナを借りてですね…。===Q.当時すでに高いレベルのウェザリング技術を持っていたと聞いています。カスタムをアップしていく過程でのちに*ヘルズデプトを立ち上げられたCHOJIROさんと仲良くさせて頂きました。数名であれこれとネタを持ち寄って遊んでいた中で当時、実車の方でもRat Rodが注目されていたこともあり、とにかく車を錆びさせる*ウェザリングのテクニックを一時期競っていました(笑)。僕らの周りではエイジングがとてもホットでした。もともとプラモデルでやっていたウェザリングの技法をミニカーで試すのはとても楽しかったです。*ヘズルズデプト HE”LLS DEPT King of Custom" リンク:https://www.hellsdept.jp*ウェザリング(英語: weathering)は、模型における塗装技法のひとつ。もともとのweatheringという語の意味は「風化」。CHOJIRO、KEWO、リョウユウとORANGE RODの4人は2004年に開催された日本初公式HWコンベンション、Hot Wheels Custom Car Showにて行われた日米カスタマイザー対決の日本代表に選ばれ、四天王と呼ばれている。===Q.どんなものからインスピレーションを受けているのでしょうか?僕は自分の中に培ってきた記憶を、その時々の雰囲気でアウトプットしていきます。車の情報は常に見ていますけど、アニメ、マンガなどもインスピレーション元になっています。あとはやっぱり自分が見て触ってきたモノや昔のオモチャの記憶です。例えばそれは七〇、八〇年代の色使いだったり、九〇年代がまとっていた雰囲気だったりとかです。「あーこういうドぎつい色の組み合わせあったなぁ~(笑)」とか、現代のトレンドも勉強しつつ、自分の記憶に残って覚えているものが意外なところで役に立ったりしています。 ===Q.好きなデザインや得意なスタイルはありますか?ジャンルを問わずレーシングカーのストライプやゼッケンが入ったデザインが好きです。これは昔のバラクーダをモチーフにしたFast FishというHWオリジナルキャストをリペイントしたお気に入りのカスタムです。デカールを自作して当時、実際にあったレーシングカーDan GurneyのAARバラクーダのカラーリングにしてサイトに載せたのですが、そのずっと後になってマテル社のマネージャーさんが「あっ!そういえば昔オレンジ君がやってたあのバラクーダのカラーリングでやろうよ!」と。グラフィックはそのまま流用して、ナンバーとカラーは著作権の問題で変更してリリースされたのがこのキャストです。僕は、この時代のレースカーのカラーリングが大好きです。*ダン・ガーニー Daniel...

ORANGE ROD SPECIAL INTERVIEW

- 僕はデザイナー。裏方ですからゴーストです。影の様にその存在そのものを消していきたい -ホットウィールの世界で ORANGE ROD 名を知らない人はいない。ホットウィールのカスタムコンテストで数多の賞を総なめにしながら実体の多くは全く明かされていない。ORANGE RODは一体何者なのだろうか?謎に包まれるその存在の発端を見てみよう… 【ORANGE RODプロフィール】2000年頃から趣味のHot Wheels(以下HW)カスタムを開始。日本のファンサイトやアメリカのHotWheelsCollectors.comのBBSへカスタム作品を投稿し、日米HWコンベンションのカスタムコンテストで数々のアワードを獲得。2006年にはカスタム作品のグラフィックがマテル社のデザイナー陣の目に留まり製品化。それがきっかけとなり当時のHWグラフィックチームのマネージャーからの誘いを受け、2008年より外部デザイナーとしてHW製品のグラフィックデザインを請け負う事となる。現在年間300点以上の製品のグラフィックとカラーリングのデザインを手掛けている。 ===Q.ホットウィールのグラフィックデザインに関わるまでの経緯を教えてください。僕はアメリカの掲示板にもカスタムカーを上げていましたから、それをマテル社のデザイナーさんや社員さんが見てくれていた様です。2005年に日本で開催されたコレクタークラブ(HWML)の集まりにHWデザイナーのジュン・イマイさん(当時/現KAIDO HOUSE)が遊びに来てくれて交流が始まりました。そこからお世話になっているHWショップの方達にアメリカのコンベンションに連れて行ってもらいまして、マテルのデザインセンターを訪問したりもしました。そこでマテル社のHWグラフィックチームのマネージャーから「グラフィックやらないか!?」と誘われました。===Q.オレンジロッド、その名前の由来を教えてください。ファンの掲示板にお邪魔してカスタムの写真をアップするにはハンドルネームがいるわけです。その時になんとなくつけたものです。僕が最初にホットウィールのカスタムをしたのが雑誌『model cars(モデル・カーズ)』のコンテストだったんですけど、その時に賞をもらった車がオレンジ色だったんです。メタリックオレンジは曲面を使ったショーロッドに映えますし、カスタムペイントならではの色という感じがして好きでした。好きなオレンジ色にホットロッドの「ロッド」をつけてオレンジロッド(笑)。それをそのまま今も使っています。この車のルーフの模様は初めて描いたピンストライプです。カルチャーも何も知らない状態ですから、僕のイメージだけで勝手に作り上げたピンストです。まったく形にはなってないんですけど、誰も描けないピンストライプになっていると思います。その頃から、アメリカ車の専門誌も読み始めて得た知識をHWカスタムに反映させるのに夢中になっていきました。===Q.デザインをはじめたきっかけは何だったのでしょうか?今じゃ考えられないですけど僕が中高生くらいの頃までは町に一軒はおもちゃ屋さんがあるような状況で、僕も高校時代は地元の玩具模型店でバイトをしていました。子供の頃から図画工作が好きだった流れでカーモデルやラジコンに興味を持ち始め、バイト代はほとんどおもちゃやプラモの現物支給に近い状態でした(笑)。はじめてのエアブラシもバイト代で買いました。そんなで中で漠然と将来はデザインの仕事がしたいくらいの気持ちで美大を目指し、◯浪してグラフィックデザイン科に入りました。そのうちにホビー関連のデザインに関わりたいと思うようになり学校では平面ではなくて模型や立体造形の作品ばかり作っていました。===Q.ホットウィールとの出会いを教えてください。僕は実車というよりもトイ(おもちゃ)から入ってます。コレクションを意識しはじめたのは小中学生の時のチョロQからで、やがてフィギュアブームの頃バットマンやスポーンなどのUSトイに興味を持ちました。USトイを扱っているお店に行くと並行輸入のホットウィールも売っているわけです。フェラーリやポルシェとか実車のあるような車は千円くらいするわけですが、オリジナルデザインの変わった車はコレクターに人気がないのか安いんです。三百円くらいで買えちゃう。おもちゃ好きとしてはオリジナルデザインのほうにこそ惹かれるわけでそこから面白い車をツマんでいくうちに、『model cars(モデル・カーズ)』を読んで新製品を追うようになり、カスタムコンテストの告知を見て作ってみようかとなりました。それがホットウィールとの出会いでした。===Q.ご自身のスタイルはどのように形成されていったのでしょうか?HWのカスタムは分解が基本です。車の裏にあるカシメをドリルで外して分解するんです。それを糸鋸でぶった斬って、それを組み合わせて繋いで接着して、色を塗っていきます。はじめは知識も技術も何もないですから、基本はすべて分解して知ることからスタートしています。2000年代初頭の頃は、個人のホームページに掲示板があって、それぞれに同好の仲間が集まっていた感じです。掲示板はカスタム作品の発表だけでなくお互いの技術や情報を交換する場でもあり、僕自身も投稿する様になってから色々なことを教えていただきました。カスタムの手法にも様々あってタイヤホイールの交換、ボディのリペイントからパテやプラ板、金属素材を使った成形、エンジンや内装など細部のディテールを細かく作り込むスタイルもあります。僕はHWのパーツ同士を切り貼りしてあたかも元からそのキャストがあるかのような1台にまとめるのが好きです。ずっとHWデザイナーへの憧れがありますから、自分がデザイナーになったつもりで、デザイナーごっこのイメージです。あのキャストのこの部分が使えるかな?なんて事を常に考えています。実際に削って合わなかったりもするんですけど、そこを何回も繰り返して一体化させていきます。プラモデルのパーツなどは使い過ぎると軽くなりますから、僕はやっぱりダイキャストの重みを出せればと思って金属パーツを中心に使いながらカスタムしています。完全に個人的な好みですが、軽くなり過ぎるとミニカーじゃなくなっちゃう気がするんです。とにかくたくさんのキャストの事を知っていないと僕の思うようなカスタムやデザインはできないので、今でも新しいキャストは一通り買います。もうずーっと買っています。発売日の朝並ぶのが苦手で今やネット通販も早い者勝ちですので、どうしても欲しいモデルがあるときはアソート箱で買っちゃいます(笑)。全部でどれくらいの個体があるんでしょうかね?本当にたくさんのキャストがあります。HW以外にもプラモデル、ラジコン…etc、カスタムできる物が好きで集めるのも大好きです。ですからコンテナを借りてですね…。===Q.当時すでに高いレベルのウェザリング技術を持っていたと聞いています。カスタムをアップしていく過程でのちに*ヘルズデプトを立ち上げられたCHOJIROさんと仲良くさせて頂きました。数名であれこれとネタを持ち寄って遊んでいた中で当時、実車の方でもRat Rodが注目されていたこともあり、とにかく車を錆びさせる*ウェザリングのテクニックを一時期競っていました(笑)。僕らの周りではエイジングがとてもホットでした。もともとプラモデルでやっていたウェザリングの技法をミニカーで試すのはとても楽しかったです。*ヘズルズデプト HE”LLS DEPT King of Custom" リンク:https://www.hellsdept.jp*ウェザリング(英語: weathering)は、模型における塗装技法のひとつ。もともとのweatheringという語の意味は「風化」。CHOJIRO、KEWO、リョウユウとORANGE RODの4人は2004年に開催された日本初公式HWコンベンション、Hot Wheels Custom Car Showにて行われた日米カスタマイザー対決の日本代表に選ばれ、四天王と呼ばれている。===Q.どんなものからインスピレーションを受けているのでしょうか?僕は自分の中に培ってきた記憶を、その時々の雰囲気でアウトプットしていきます。車の情報は常に見ていますけど、アニメ、マンガなどもインスピレーション元になっています。あとはやっぱり自分が見て触ってきたモノや昔のオモチャの記憶です。例えばそれは七〇、八〇年代の色使いだったり、九〇年代がまとっていた雰囲気だったりとかです。「あーこういうドぎつい色の組み合わせあったなぁ~(笑)」とか、現代のトレンドも勉強しつつ、自分の記憶に残って覚えているものが意外なところで役に立ったりしています。 ===Q.好きなデザインや得意なスタイルはありますか?ジャンルを問わずレーシングカーのストライプやゼッケンが入ったデザインが好きです。これは昔のバラクーダをモチーフにしたFast FishというHWオリジナルキャストをリペイントしたお気に入りのカスタムです。デカールを自作して当時、実際にあったレーシングカーDan GurneyのAARバラクーダのカラーリングにしてサイトに載せたのですが、そのずっと後になってマテル社のマネージャーさんが「あっ!そういえば昔オレンジ君がやってたあのバラクーダのカラーリングでやろうよ!」と。グラフィックはそのまま流用して、ナンバーとカラーは著作権の問題で変更してリリースされたのがこのキャストです。僕は、この時代のレースカーのカラーリングが大好きです。*ダン・ガーニー Daniel...